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英彦山参道絵図

英彦山参道絵図

■英彦山と修験道:
英彦山の歴史は古く、鎌倉初期の「彦山流記」には、既に多くの修験行者が集い、集落を形成していたことが記されています。室町~江戸時代には公家・大名の庇護を受けて修験の場として隆盛を極めました。山形県の羽黒山(はぐろさん)、奈良県の大峰山(おおみねさん)と並ぶ、日本三大修験道場の山です。

■英彦山四土結界(しどけっかい):
英彦山は鳥居を境とし、「凡聖同居土(ぼんせいどうきょど)」から永遠浄土の「常寂光土(じょうじゃくこうど)」まで、四つの世界に分けられ、「四土結界」と言われていました。かつては結界ごとに、行われる祭祀や居住できる人、作れる食物などの決まり事がありました。英彦山の参道を歩きながら、そのいにしえのたたずまいを感じてみてください。

・常寂光土(じょうじゃくこうど):永遠絶対の浄土。仏界。

・実報荘厳土(じっぽうしょうごんど):石の鳥居より上は修行専念の聖域。菩薩界。

・方便浄土(ほうべんじょうど):銅鳥居より上は、仮の浄土。行者界。

・凡聖同居土(ぼんせいどうきょど):銅鳥居よりふもとは、凡人と聖者がともに同居している土。凡聖雑居界。

■英彦山の隆盛と「坊」:
英彦山は修験道が盛んであった山。山伏の家を「坊」と呼び、かつて800近く山内に散在したと言われ、特に英彦山神宮参道には多くの坊舎が並んでいました。檀家の宿坊としても使われていたため、大きな祭壇や広い炊事場を持つ特徴があり、「鍵屋造り」と言われる特有の建築様式をなしています。現在は、無くなってしまったり、跡地を留めているだけの坊舎も多いのですが、今も住居として住み続けたり、文化財として保護活動に取り組んでいる坊舎もあります。

■英彦山参道を歩く:
銅鳥居から奉幣殿まで約1000mもの石畳と階段の坂道が続きます。歩きやすい靴でご来訪ください。(ハイヒール・サンダル等は不向きです。)年齢や体力、趣味や目的に応じて、スロープカーを活用することもおすすめです。山間地に位置し、気候や気温が変わりやすいので、雨具や防寒具のご用意もお忘れなく。


 


■上宮:
北岳・中岳・南岳を神格化し、各峰に一祭神をあて、古代より神体山として信仰されてきました。中岳山頂に上宮(御本社)があります。

■英彦山神宮奉幣殿(国指定重要文化財、ひこさんじんぐうほうへいでん):
修験道時代は霊仙寺の大講堂で、現在の建物は元和2年(1616)に小倉藩主 細川忠興が再建したもの。屋根は柿葺(こけらぶき)、入母屋造り(いりもやづくり)で桃山時代の様式が残っています。

■杉田久女句碑(すぎたひさじょくひ):
杉田久女(1890-1946)は高浜虚子に師事した鹿児島生まれの女性俳人。才気ある情熱的な句風で知られ、「谺(こだま)して 山ほととぎすほしいまゝ」と英彦山を詠みました。

■英彦山官祭招魂社(ひこさんかんさいしょうごんしゃ):
明治維新の時代に長州藩に賛同し、殉国した僧侶・山伏たちを志士として祀っています。

■政所坊庭園(まんどころぼうていえん):
座主(ざす)代を務める高地位の山伏の坊。庭園は英彦山内で最大級規模であり、池泉(ちせん)観賞式で安土桃山から江戸時代初期にかけて造られたものといわれています。

■宝篋印塔(ほうきょういんとう):
文化14 年 (1817)、熊本の高僧で全国に2千有余もの仏塔をつくった 豪潮律師により建立されました。総高さ約8mで日本最大級。

■旧亀石坊庭園(国指定名勝、きゅうかめいしぼうていえん):
室町時代、1475年頃に、画僧の雪舟禅師が作った池泉観賞式庭園と伝えられています。

■彦山町([小倉町]ひこさんまち):
元禄時代に小倉藩主の小笠原忠雄により構築され、かつては多くの商店で賑わっていた通り。いまでは土産物屋が残る場所。ちょっとひと休みしてみては。

■花見ケ岩公園(はなみがいわこうえん):
公園の入り口から少し登ると、ほどなく展望が開け、英彦山に連なる山々の見事な景観が見渡せます。春には桜、秋には紅葉の眺めも見事。

■松養坊(見学可、しょうようぼう):
司祭や大先達などを輩出し、幕末には奉行を務め、英彦山の政祭を司った中世の記録にも残る由緒ある坊。明治維新前に山内の智室谷(ちむろだに)から現在地に移住しましたが、坊家の旧態をよく残しています。種田山頭火も2度宿泊しています。[公開日]春〜秋の土日祝等 *不定期[見学時間]訪問時に要確認

■増了坊(ぞうりょうぼう):
約300年間英彦山を援助した鍋島家の宿坊。亀石坊、政所坊とともに英彦山御三家と称されました。門口に大きな石を一つ立てる「一本立石」と、大きな石「太閤石」を据える石垣の組み方は、英彦山独特の石垣の組み方で「彦山石垣」と呼ばれています。

■山伏文化財室(やまぶしぶんかざいしつ):
廃校となった英彦山小学校の校舎を活用した、修験道や山伏にまつわる貴重な史料を多数展示している小さなミュージアム。廃仏毀釈により解体されてしまった仁王像など、信仰の歴史が伝わってきます。[営業時間]8時半〜17時[料金]入室無料[お問合せ]0947−85−0375

■財蔵坊(見学可、ざいぞうぼう、添田町歴史民俗資料館 、県指定有形民俗文化財):
財蔵坊は、その昔山伏たちの暮らした坊のひとつ。現在は添田町歴史民俗資料館として活用されています。当時の様子がほぼ完全な形で残っている貴重な建物で、英彦山で唯一、ガイドの説明を聞きながら見学できます。[公開日]土・日・祝日 (平日・冬期休館)[見学時間]10時〜15時[お問合せ]0947−82−1231

■枝垂桜(しだれざくら):
守静坊(しゅじょうぼう)にひっそりと咲く枝垂桜は、英彦山の山伏が京都の祗園から持ち帰った樹齢約200年の桜です。

■勢溜(せいだまり):
銅鳥居下には下乗石の立つ参詣溜り「勢溜」があり、参詣者は一旦ここで籠や馬から降り、霊山に入る心構えや服装を整えていました。

■銅鳥居(国指定重要文化財、かねのとりい):
その昔、英彦山の名称は「日子山」から「彦山」へ、さらに享保14 年(1729)、時の霊元法皇が山号に「英」の字を加え、「英彦山」と書かれた鳥居の額を下賜されてこの名称となりました。鳥居は寛永14 年(1637)、佐賀藩主鍋島勝茂公の寄進によるものです。

■雲母坂(きららざか):
禊場(みそぎば)から銅鳥居に続く山中の参詣道。南坂本バス停から銅鳥居まで徒歩約1時間


 


■桜の馬場と御神幸祭(さくらのばばとごじんこうさい):
桜並木の中、例年4月の第2土曜・日曜に行われている、平安時代末期から受け継がれる国の安全や人々の息災、五穀豊穣を祈る伝統祭祀。

■英彦山の野鳥:
英彦山一帯には絶滅危惧種を含め約百種もの野鳥がいるといわれています。

■英彦山の山野草:
四季折々に季節の変化を感じることができる、 珍しい山野草や樹木に出会えます。

・ヒコサンヒメシャラ:[花期/5月下旬〜6月下旬]

・クリンソウ:[花期/5月〜6月]

・ミツマタ:[花期/3月下旬〜4月上旬]

・オオヤマレンゲ:[花期/5月〜7月]

・ウスギモクセイ:[花期/9月下旬〜10月]参道内の坊跡等に約12本残っています。


 


英彦山参道絵図は、ひこさんスロープカー花駅 でも販売しております。英彦山にお越しの際は、ぜひお買い求め下さい。